前書き
2018年、私自身がこの疾病と正面から向き合う姿勢を取ってからはや2年、知れば知るほどてんかんという疾病の範囲の広さや定義の難しさに改めて考えさせられました。
本来であればてんかんについて広く発信し・・・などと大変な驕りを持って居た事を思い知る事となり、代わりに私自身の経験談を書き連ねて参りますので、てんかんで悩む方々の心の一助になれば幸いです。
発症と幼少期の認識
これは先日両親に改めて確認したものですが、当時5歳の私は偶に熱性けいれんを起こすことがあったそうですがある日けいれんを起こした私の額に手を当ててみると全く熱がなく、むしろ冷たく感じたそうで驚いたそうです。
そこで慌ててかかりつけの小児科へ連れていき、紹介状を書いてもらい検査施設を持つ総合病院小児科にて「小児てんかん」として治療することとなります。
さて、当の本人はどのように感じていたのかというと・・・
特に何も感じていませんでしたね!
強いて言えば半年に一回の脳波の検査の前の日は遅くまで起きていなければいけなかったのがきついのと、テレビゲームの類を親がかなり危険視していて小学校にあがってしばらく自宅にゲーム機が一切なかった事が退屈といえば退屈だったかもしれません、しかし無いなら無いで持ってる友達の家に遊びに行ったときに遊ばせてもらい特に不満に思うこともありませんでした。
てんかんに関しての認識は
- 普段は夜更かししないこと
- くすりの飲み忘れをしないこと
- ゲームはやってもいいけど1時間したら休憩をすること(自宅になかったのであまり聞いてなかった)
以上を主治医のおばちゃん医師から言われていました(怒られるかな)、治療開始時の処方薬については「こなぐすり」という包装形式以外は苦い味だった記憶がありますが名称は記憶にも記録にも残っておりません。
小学校生活と発作
小学校は近所の公立小学校に通うようになります、通院頻度は変わらず半年に一度の脳波検査と3か月に1度の検診を続けていました、当時は父が病院の送り迎えを、母が一緒に診察やらの手続きをと私がどうのというより親が大変だったろうなと当時の親の年齢を迎えて強く感じます。
主治医のおばちゃん医師とはこの後約30年のお付き合いとなるわけですがこのころの私は単純に「遊ぶ時間」を奪う存在だった病院が苦手でした、おばちゃん医師が「あなたの頭の中ではたま~にね、嵐が起きることがあるのよ。そうなってしまうと気を失って頭が痛~くなったり具合が悪くなったりするから、しっかり薬を飲み忘れないようにして夜は早めに寝てね?」と、発作のいわゆる「ニューロンの過剰放電」について低学年でもわかる言葉を選んで説明してくださっていたのですが、当時の私は早く帰りたくて「ハイ」と返事だけはしますが理解はしていませんでした、一緒に聞いていた母の方が納得していたように思います。
「学校行事の参加」について
SNSの質問などで「てんかんの子供を運動会に参加せていいものか悩んでいます」「修学旅行には親御さん同伴でなら参加できますと言われました」という相談を受けたことがあります。
私は衝撃を受けざるを得ませんでした、私自身習い事や、課外クラブ、運動会や修学旅行、小学校における全ての活動に制限を受けたことがありませんでした、私は小学校施設内で発作を起こしたことは一度あります。
5年生の時給食時間中でした、机の向きをクラスメイトと向かい合わせにして食べている途中、変な気分に襲われ気づいたら保健室でした、頭ガンガンする中保健室の先生はなにか言っていましたがとりあえず「親が迎えに来る」という言葉を聞いて横になった記憶があります。
一日のリカバリー期間を設け発作から二日後、学校へ行くとクラスメートがたくさん声をかけてきたのを覚えています、お互い何が起きたのかわからないといった状態で「なんで!?」「大丈夫!?」みたいな質問が多かったですね(笑)私が毎日薬を服用していることや偶に病院に行って学校に遅れる事はみんな周知の事実でしたがまさか症状が「気を失って顎をガクガクさせて白目状態で体が硬直する」なんて想像もしないでしょうし、友達からその症状を聞いて初めて「へ~!そんなんなるんや!」と自分の症状を認識しました、ショックはありませんでしたが仲が良い友達を驚かせてしまっただろうという気持ちとこれから先の生活で発作を起こす可能性を孕んでいる以上必要だと感じたら話そうと「オープン寄り」な考えを持つようになった一つの大きな出来事でした。
しかしその後も私が学校生活でてんかんを理由に何か活動を狭められるような事は一切なかったのでおおよそ投薬治療で明らかな発作が見られない場合、あえて活動範囲を狭める事はマイナスイメージを周囲に植え付け本人の将来的な自立心を損なう恐れもあると私の体験談から考察できます。
当然これについては個々の症状や程度に大きく左右されるものであり、主治医、担任らとのコミュニケーションはもとより、本人が「どうありたいか」という意思表示をそれらがサポートできる体制であれば必要以上に恐れる事はむしろマイナスであると言えます。
小学生までを振り返って
なるべく授業に差し支えないようにという事でしょうが土曜日や夏休み、冬休みが病院予約日になってしまい高学年になるほど面倒くさく感じるようにはなっていました、半日遊び損じるのでね(笑)当時は今ほど休日取得もラクではなかったであろうことも改めて親には敵わないなと感じる日々でございます。
次回はめんどくさい中学高校時代のエピソードとなります、最後までお付き合いいただきありがとうございます。
コメントを残す